やあやあ読者諸君、るびこだ。
映画化され、話題が火鍋のように沸騰している本書「夜は短し歩けよ乙女」を私は丁度読み終えたところである。
駄文ながら感想を述べさせていただきたい。
なお本の構成をピタリと真似るため、見出しは全て「○」で統一してある。
SEOというものはとうの昔に鴨川に流してしまった。ゆらゆら揺れながら、鮎につつかれる様は今でも網膜を離れてくれない。
私は硬派に足が生えて歩いているような男である。アクセス数に一抹の不安はあるものの、日頃当ブログに来ていただいている読者諸君にのみ、この書評を届ける。
※SEO:Search Engine Optimization(検索エンジン最適化)
○
はじめにお断りをさせていただきます。
「夜は短し歩けよ乙女」は主人公が2人いるのです。
大学のお話で、先輩の男性と、後輩の女性です。
その2人の目線が順番に入れ替えわりながらお話が進みます。紛らわしいことです。
しかし、どうかご安心ください。
その2人は口調が全く異なるのです。
万が一あなたの頭の中が今日の夕ごはんのことで一杯であったとしても、読み違えることはないでしょう。
○
読者諸君はすでにご存知かと思うが、これは大学の男女の物語である。
大学の先輩に当たる男が、意中の後輩女子・黒髪の乙女にアプローチするというものだ。
大学だからといって軟派な想像は言語道断。この男、呆れるほど奥手である。
外堀を埋めるのを生業にしているとすら思える。恐ろしく不器用なのだ。
彼はありとあらゆる手段で、彼女の後ろ姿を追いかけるが、その美しい黒髪についに触れることはない。
彼のもがく姿は彼女の潤った瞳に届くことはないのだ。
男の欲求として、もっと大胆にアプローチしたいものではある。
頭のなかで臆病な自分が「そんな不埒な行為は紳士としてあってはならない」などもっともらしい理由をつけて、それを邪魔するのだ。彼は悪くない。
男性読者諸君にも思い当たる節があると言うのは想像に容易い。
さて、この男が心底惚れてしまう女性と言うのは一体どれほどの人物なのだろうか。
○
それにお答えいたします。
黒髪の乙女はというと、著しい天使性を秘めている、ということに尽きます。
ここでは小悪魔の対義語として、「天使」という可愛らしい表現を使わせていただきますことを、どうかお許しください。
誰に対しても分け隔てなく優しく、またどんなことにも先入観の代わりに興味を抱く様子は、純粋無垢な乙女に他なりません。
読んでいる中で、もし自分がこの娘の恋人だったなら、あるいは友人、時には父親だったならと想像してしまいます。お恥ずかしいことです。
そして更にお恥ずかしながら、そのどれもが春一番の翌日に訪れる柔らかな日差しのような輝きを帯びた妄想なのです。
このような乙女に男性の皆さまはもれなく虜になってしまうことでしょう。
しかし、どうもこの黒髪の乙女の前では、巷に溢れた「淡い恋物語」や「男女の駆け引き」の存在をどうしても確認できないのです。困りました。
一体どのように、この2人の物語は展開していくのでしょうか。
○
主役2人の魅力を十分に理解してもらったところで、留意してほしいことがある。
この物語を引き立てる数奇なその他登場人物も、忘れてはなるまい。
李白や古本市の神様、パンツ総番長など名前を聞いただけで愉快であることは読者諸君にもお分かりいただけるだろう。
彼らがどのような人物で、どのような活躍をするのかは実際に本を手にとって参照されたい。
○
ああ、どうしてあんなに美しい言葉をご存知なのでしょう。
私達が普段決して使うことのないようなオモチロイ熟語が散見されます。
文章を目で追うと、目から入った情報がそのまま脳みその使ったことのない部分を刺激するかのようです。とてもワクワクします。
私も真似てはみたのですが、やはり遠く及びません。感心するばかりです。なむなむ。
○
このような地に足付かない書評を最後まで読んでもらい、汗顔の至りである。
さて、私は失くしたSEOを拾いに行くとしよう。
どこかの水草が捉えていてくれればいいのだが。
今日のぐうの音
映画化するということで、ミーハーな私は読んでみました!
引き込まれる文章とファンタジー色の強いストーリーでとにかく面白かったです、ぜひ!